山手線の目黒駅を利用しているが、エスカレーターは止まり、照明も薄暗くなっている。あちこちで看板やショーウィンドウなどの照明も消されている。ヨーロッパを旅した時を思いだす。ある意味今の東京は節電していいるというよりこれが自然な明るさだと私には感じた。いや、まだこれでも町は明るすぎるところおmある。
新宿西口のヨドバシカメラを喉いてみた。相変わらずすべてのパソコンに電源が入り、画面が明るかった。天井の照明もこうこうと灯っている。エコ商品も多いのは確かだが、売り場自体がエコではない。またどんどん新しい商品が売られている。この状況でも客が多いのには驚いたが、全体としてこれほど電力不足に窮しているのに、あまり節電の様子が見られない。店の外とは大違いだった。ただよく見てみれば、外壁のきらきらした明りはすべて消されていたのは、少しほっとした。
昔と比較するのは適当ではないかもしれないが、私の子供のころは、今の10分の一以下の明るさだった。いつのまにか世の中は電力に超依存状態となってしまった。それが日本のGDPを上げてきたと言えばそれまでだが。しかしその膨大な電力を賄うために、原発も作られた。真夏のピークの電力需要をすべて賄うべく原発も増設された。今や54基もある。経済をとるか命をとるかの選択の時期が来た。
この大震災と津波の被害、原発事故を機に、今後電力エネルギー生産をどういう風にするのか、決断が迫られる。経済を優先しようとすれば、どんどん原発を作る必要がある。火力発電を増やそうとすれば、地球温暖化の問題もある。太陽光発電も風力発電も、システム自体を作るのに膨大な電力が必要となる。太陽パネルも半永久的ではなく、耐用年数を考えれば、結局のところのところ、削減できる温暖化ガスの排出量は変わらないだろう。
日本中に中にあふれる自動販売機。今は明りは消されている。しかし、冷却、保温のためのエネルギー、空き缶を製造し、またリサイクルするエネルギーを考えれば膨大な電力消費BOXだ。日本中の自販機に使用する電力を合わせると原発一基分は必要と言われる。家電製品の待機電力も日本全体を合わせば同様だそうだ。
私にとっては今の節電は節電というより、これでも十分なように思える。夜は暗くていい。自販機もコンビニで十分だし、コンビニも夜中はクローズしてもいい。ビルや駅の電灯も3分の1に減らしても不自由はないように思える。確かに体が不自由で使用が必要なものもあるのは事実だ。しかし、もっと相互扶助の精神を養い、困った人がいれば手助けすると言う風潮や学校でのそのような教育により不自由な人たちを助けていく社会にしていくことである程度はこの問題も解決するのではないかと思う。
より快適な生活、より豊かな生活、良いサラリー、もっともっと、というライフスタイルがいつまで続けられるだろうか。インド、中国、ブラジル・・・・、世界中が日本やアメリカのような生活をしたら、地球がいくついるのだろうか。しかしそういった国々に何も言えない。我々がぜいたくの限りを尽くしているのに途上国の人たち二やめなさいとはいえない。かといっていまさら原始的生活にもどることは無理だろう。しかし、全体として世界中が、持続可能な社会を生み出すには、ライフスタイル、都市の様式を根本的に変えなくてはいけないことは事実だ。
いったい何ができるだろうか。この未曽有の災難に直面している日本人ひとりひとりが真剣に考えるいい機会だと思う。さもなければ、例え復興しても、またより大きな災難がやってくる。今はまず被災者の皆さんを支援し、町を復興することに最善をつくすべきだが、未来のビジョンも同時に考えていかなくてはいけないのではないか。
エコジャパン 2011年3月24日