瞑想という言葉は、サンスクリット語では”デャーナ”と言う。動詞語根は「思考する、瞑想する」という意味の”デャイ”である。
ヨーガにおける瞑想は、”心の活動を死滅すること”(chitta vrtti-nirodhah) プロセスを意味する。つまり心が静まるプロセスを言うのである。
本来、瞑想はサマーディを体験する手段であるので、瞑想においては、一切の努力から離れ、ただただ自然の流れに委ねることが必要だ。心の活動の死滅とは努力を伴わない状態である。
何らかの努力や集中を行うことで、心は静まるどころか緊張し始める。したがって、瞑想するというとき、期待やコントロールは邪魔になるし、また不要である。
しかしながらこういったことは、よく瞑想を体験し、理解している師から学ばなければうまくはいかない。
また瞑想にも様々な手法があるので、正しい方法を見つけることが大事だが、それも運によるのかもしれない。
さまざまな方法を試してまだそれ以上を求める方は、是非ヨーガの手法であるソーマ瞑想を学んでみてはどうか。