TSNJのサポーターの方から了解を得て、ワシントンポストの記事をの翻訳文を掲載させていただきます。中国共産党の強硬なチベット人弾圧がおこなわれています。オリンピック後ますます取り締まりは厳しくなっていることがうかがえます。
⇒原文(英語):ワシントンポスト紙の記事
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Phayur.com
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チベットの郡地域,衝突で厳戒封鎖下に
3月以降で最悪になるかも,抗議者語る
ワシントン・ポスト[2009年2月20日 金曜日]
Ariana Eunjung Cha記者
ワシントン・ポスト海外サービス
北京,2月18日 -- Sichuan地方のLithang郡は,チベット人僧侶と一般民衆そして遊牧民が,日曜日と月曜日に中国治安部隊と衝突した
後,今週,厳戒封鎖下にある。以上,地域住民からの情報である。
雑貨店の商店主であるZhou Xiuju女史は,郡の中心にある野菜市場近くで2月15日に行なわれた小さな抗議活動が2月16日の昼食頃に,とても
大きなものに拡大したのを目撃した,と言った。翌日には,数百人のチベット人が「ダライ・ラマ万歳」と叫びながら下町に集まってきた。ダライ・ラマは,亡命の地インドで生きているチベット仏教の精神的指導者である。ほんの数分だった,と彼女は言った。警察の分隊が到着し,戦争のような騒ぎになった。
少なくとも一人のチベット人抗議者が棒を振り回していた。そして,他の者は石を投げていた。警官たちは,彼女が言うところの「電気棒」と催涙ガスを使ってチベット人たちを制圧した。
活動団体「フリーチベット」は,この抗議活動について,昨年春の暴力以来,チベット高原全土で最大のものであったと述べた。昨年の春は,少なくとも18名の市民と一人の警官が死亡した。
昨年の春以来,中国治安当局者たちは,チベットを長期間に渡り長々と封鎖したままにしていた。外国人ジャーナリストは,(中国当局がお膳立てした)案内係付きの旅行以外は,誰も当該地域に入ることが許可されず,チベット人で(チベットの地から)離れることを許可される者は殆どいなかった。
中国でもっとも大きな自治区地域であるチベットの(中国)共産党の長官であるZhang Qingliは,厳打で有名な強硬派である。騒乱の鎮圧に情け
容赦のない手法を用いた。チベット人たちは,自分たちの行動が常に止むことなく監視され,中国への忠誠が単に疑わしいというだけで人々が質問を受けたり,拘束されたりすると言う。
ダライ・ラマがインドに亡命することで終わった1959年のチベット騒乱の50周年記念日の来月に対する手法として,弾圧は,さらに苛烈にさえなっている,と現地の住民は言う。例えば,首都のラサでは,少なくとも81名の人々が過去数週間の間に拘束されていると,チベット人権利擁護団体グループは述べた。
ロンドンを拠点とする団体「フリーチベット」は,少なくとも24人のチベット人が,今週のこの事件の後,拘束されており,二人の人間が,警察によって連行されたと述べている。どの程度の怪我を負ったかは不明である。インドに拠点を置くチベット人権・民主化センターは,21名が拘束されていると述べている。センターは,二人の人間が酷い殴打を受け,重症で苦しんでいると述べた。
中国のSichuan地方の北方にあるチベット自治区・Gardzeの山々に位置する郡政府の当局者たち,警官,そしてLithangの旅行局は,事件が起こったことを認めたが,質問に対する詳細な返答を拒否している。
「この事について,あなたと話しているということが怖い」と,あるLithang警官は電話で述べた。
(jiro注:事実を伝えるだけで,この警官自身が疑われ国家機密漏洩済で逮捕され,拷問されるから?)
「これは秘密です。私たちは全ての真実,情報,そして外で何が起こったのか,を伝えることが許されていないのです。これは(中国共産党の)方針なのです」と,警官は言った。
昨年の3月に始まった暴動以来,チベット人たちは,抑圧された状態で生き続けてきたという。それは,何千もの家や仕事に踏み込まれる状況である。そして人々は,一見した所,ささいな犯罪のようなことで,拘束される。例えば,当局者が「反動主義者」と烙印を押した音楽を携帯電話に入れているだけなのに。
しかも(?),ほんの些細な反抗的行動だけで(間違いなく有罪だと一方的に)認定されてしまうのだ。
例えば,1月27日に,5人のチベット人僧侶が,チベットの独立を求めてSichuan地方のチベット人自治県GanziのDege郡の僧院近くで抗議活動を行なったという。これは,チベット人擁護者たちからの情報である。
今週行なわれる抗議活動は,亡命チベット人や中国国内にいるチベット人によって計画されたことに関係している。それは,追悼の年として,この一年を祝うことであり,昨年の暴力の最中に殺された人々の記憶を偲ぶ,慎みあるチベット人の新年行事とすることである。
新年,これはロサと呼ばれている。今年の2月26日に到来する。そして,通常であれば,2月末の三日間から15日間を祝う。
団体フリーチベットによると,Lithangでの抗議活動は,Lobsang Lhundup氏という名前の37歳の住民が,通りに出て,「今年のロサ
はない」と叫びながら,ダライ・ラマのチベットへの帰還を求めたものだ。
目撃者によると,彼は,自身の叫びを木霊のように繰り返す他の群集とすぐに一体化したという。
警官は,Lobsang Lhundup氏を拘束した。そして,彼を釈放することを当局者たちが拒否した時,結果として,抗議活動は2回戦目に入った。
Lithangという町はちっぽけな場所だと,雑貨店の店主Zhou女史は言う。しかし,今や,「1千人以上の武装警官と公安の人間が通りや交差点でパトロールをしており,私が聞いたところ,さらに多くの軍隊がLighan郡に向けて移動中だと言う」
「私たちは外に出ることを許されていません。外出禁止令が一昨日のその日から始まりました」と,19歳のチベット人居住者Anhuiさんが言った。
バスの停留所でバスのチケットを売っているZhang Yuさんは,電話が盗聴されていると言った。
Ma Long, 35, owner of a Tibetan robe and decoration shop,
チベットのローブや装飾のお店を経営しているMa Longさん(35歳)は,仕事を止め店を完全に閉めるよう命令されたと言った。「たくさんの武装警官と公安警察が私のドアの前をパトロールで歩き回っている。こんな事は滅多にない。」
このレポートは調査者Zhang JieさんとLiu Liuさんの協力を元に作成した。
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翻訳提供者:jiro.siwakuさん
(TSNJサポートMLの一投稿者)